2006年 11月 24日
アレキサンダーの酷評研究(1)
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ゴシップも含め、いろんな記事を発掘しているわけですが、なんといっても一番気になるのは「アレキサンダー」関連。というのも、映画(DVD)を見てみて、なーんでそこまで悪く言われるのかがよく分からないから。アメリカでとにかく酷評された、ということは知っていても、それがどの程度だったのか、どういう点が酷評されたのか、そこが知りたくて記事検索!
試しに、Alexander not so greatというキーワードを打ち込んでみたら複数のレビューがひっかかりました(涙)。中でも、私の知らなかった事実と、トムとヒースがリスクを取りたくなくって出演を拒んだという「ホモセクシュアリティー」に関する反響が書かれているこの記事をピックアップしてみました→Alexader not so great。以下、記事の和訳と感想です。
■オリバー・ストーン監督は気の毒だ。先週は裁判所礼状を抱えたギリシア人への対応を迫られ、今週は批評家の厳しい批判を浴びている。製作費1億5千万米国ドル、上映時間3時間のストーンの新作、「アレキサンダー」は、今週、全米で封切られたが、映画を楽しんでいる観客はほとんど誰もいない。そしてギリシア人(少なくとも25人のギリシア人の弁護士グループ)は、ストーンがアレキサンダーをバイセクシャルとして描いたため同映画を気に入らず、批評家はそんなことはどうでもいいのだが映画が気に入らない。
■New York Post は、映画のタイトルを"Alexander the Not So Great"(アレキサンダー、それほど偉大でない王)にするべきだであり、金髪のカツラとマスカラをつけたコリン・ファレルは見るも無残だと批評した。また、Postは、ファレルより1歳年上のアンジェリーナ・ジョリーを、アレキサンダーの母、オリンピア役に抜擢するとはばかなことをしたものだ、とストーンを批判している。USA Todayも、この映画は"Alexander the Great Disappointment indeed"(アレキサンダー、まったくがっかり!!)であり、ストーンの過去20年の映画の中でも最低であると批評。The Washington Postは、この映画は"Alexander the Crying Shame"(アレキサンダー、非常に残念)だ、と書いた。
■しかし、映画を観ていない人々からの批判が最も興味深い。ギリシャ人はアレキサンダー-25歳にあるまでにほとんどの既知の世界を征服した偉大な王-がゲイだったという意見に反対している。アテネの弁護士グループは、ワーナー・ブラザーズ・エンターテインメント社とストーンに対し、「アレキサンダー大王がバイセクシャルであると示唆した」かどで訴訟を起こすと脅してきており、ワーナーに対して、映画「アレキサンダー」はフィクションである、という一文を付けるように要求している。
■だが歴史家の意見は違う。史実に忠実であろうとしたストーンは、オックスフォード大学のアレキサンダー学者、ロビン・レーン・フォックス教授を雇い、脚本を読ませた。戦闘シーンで、コスチュームをつけて最前列で裸馬に乗る、という条件で仕事を受けたフォックスは、アレキサンダーとボーイフレンドのヘファイスティオン(ジャレッド・レト)の間に性的関係があったことは歴史的な記録から裏づけられている、と述べている。また、フォックスは、ホモセクシャルな関係はキリスト以前のギリシャ世界における「難解な部分」だが、「国家的にも文化的規範に照らしても認められていた、とりわけ、年上の男と10代の少年の関係はそうだった。」と述べている。そして、ヘファスティオンの死後、アレキサンダーがひどいうつ状態に陥り、自分の髪の毛と馬のたてがみ、尻尾の毛を切ってしまった、というような記述もある、と語っている。
■ワーナーの反対にあったストーンは、アレキサンダーとヘファイスティオンのラブシーンの一部をカットしたが、アレキサンダーは非同性愛者だと示唆することによって、「歴史を改悪する」ことを拒んだ。ストーンは言う。「現代の観客向けにこの作品をどう作ったらいいんだ?」「アレキサンダーは私にとって、男性と女性、男らしさと女らしさ、陰と陽がパーフェクトに混ざり合ったキャラクターだ。彼は彼の性質の両面を人々に伝えることができたんだ。」
■だが、依然としてアメリカでは、同性愛者同士の結婚は一般的ではない。今月、11の州が同性愛者同士の結婚を禁止する法案を通過させている。ハリウッドの少なからぬ人間は、バビロンの空中庭園で、アレキサンダーがヘファスティオンに「今夜は一緒に居てくれ。」と囁いたシーンを撮った時点で、ストーンはオスカーをとるチャンスを自ら潰した、と考えている。そしてストーンは、(同性愛に関する論争によって映画を殺してしまう可能性を)「考慮しなかったのは甘かったかも知れない。とにかく、アメリカではね。」と語っている。
■ファレルは自分の役柄について、男性同士のキスシーンを演じたくはなかったと語っている。米国の同性愛の雑誌のインタビューで、ファレルは、「男のひげが自分の唇に押し付けられた時、すごく不愉快だった。だけど、それも仕事の一部だ。僕は誰に不満を言えばいい?」「オリバー・ストーンはアレキサンダーという人間を100%正確に描きたかったんだ。アレキサンダーはバイセクシャルな世界征服者だった。1人以上の女性と結婚をして、子供をもうけていたが、同時に、彼は、近しい同姓の友人たちと、性的な関係を含めて、とても強い関係をもっていた。キリスト生誕の400年も前のことだ。それがその頃の生活だったんだ。その後、キリスト教信仰が発達し、セックスと結婚に関する行動が変化した。もし、君が男で、別の男を愛しているのなら、君はそういう運命だったんだ。」と述べている。
■The US Gay and Lesbian Alliance Against Defamation(GLAAD:中傷と戦うゲイ・レズビアン同盟)は同映画に対する支持を表明し、「オリバー・ストーンが2人の男性間の愛を探求したことによって、わたしたちは理想とする世界にまた一歩近づくことができた」と述べた。だが、ギリシャの一部では、同映画に対する感情は全く違う。保守的なギリシャの政党、Popular Orthodox RallyのリーダーであるGiorgos Karadzaferisは、モーゼについて似たような内容の映画を敢えて誰も撮らないだろう、と述べた。
■イエスの3世紀以上も前にこの世に生まれたアレキサンダーは、ギリシャからタジキスタンにいたる広大な領土をまたがる帝国を建設した。そして、バビロン、現在のイラクで、大酒を飲んでどんちゃん騒ぎをしている最中に33歳で亡くなった。(そしてこの写真のキャプションには
「これはブラッド・ピットではなくてコリン・ファレルです。」
と書いてある、、、)
■封切直後の「アレキサンダー」に対するアメリカでの風当たりは想像以上、かなり強かったんですね。。だけど、批評家は一体、何に対して、どの点について失望したのか、何が期待はずれだったのか、についてはこの記事からではよく分かりません。ただ、酷評しているメディアはクオリティーペーパーなので、観客動員数に対するマイナスの影響、それも、「アレキサンダー」に興味と理解を示し得る、インテリジェント層の映画ファンの客足を鈍らせるには十分だったのではないか、と想像します。
■わたし自身、コリンが「ゲイ」役を演じてもなんともないですが(相手がジャレッドだからかも知れないけど、笑)、「そういう映画は観たくない!」という人が少数ではないのだ、アメリカでさえ、というか、アメリカでは、と認識いたしました。だけど、オリバー・ストーン監督がもし、同性愛の表現についての論争で映画を殺してしまう可能性を最大限に考慮し、アレキサンダーとヘファイスティオンの関係を「ふつうの男の友情」系の演出にしてしまっていたら、それこそ映画を殺してしまっていた、というか、オリバー・ストーンの構想ウン十年の企画を実現する必要はなかった、と思うのですが。その辺り、監督はどー考えているのだろう?か。発言に納得いきませんね。
■それに、男同士で甘く囁かなかったらオスカーを取れていたとも思えず。やはり、脚本的に今ひとつな所があると思うし。映画自体が評価されないと、俳優は評価されませんですから、はい。
■それにしても、ギリシャ人の反発を買い、ゲイ&レズビアン団体に感謝され、、まさしくオリバー・ストーン作品と言えなくもないですよね?なのに、なぜ、みなさん、そこまでがっかりしたのか。。やはり、歴史大作に対して人は過剰な期待を抱きやすいのか、スタジオ側がそういう風な宣伝を打ちまくったのか、、、
■別のインタビューでコリンが「男と2分(2秒だったか??)キスするくらいなら、20分筋トレをした方がましだ!!」と語っていて、コリンの筋トレ嫌いは知りつつも、ん?その程度しかいやじゃないのか、やっぱり、おにいさんのイーモンが10代の頃、ゲイだとカミングアウトしたりしてるから理解が深いのかな、と思っていたのですが、やはり相当いやだったんですね。。
■信じられないけど、実際にコリンをブラッド・ピットだと勘違いしていた批評家もいたようで、「ブラッド・ピットは役柄にふさわしくない。威厳が足りない。」というレビューを見つけました、、、(読者に指摘されて後から訂正を入れてありましたが、、まったく、、情けない。。)
試しに、Alexander not so greatというキーワードを打ち込んでみたら複数のレビューがひっかかりました(涙)。中でも、私の知らなかった事実と、トムとヒースがリスクを取りたくなくって出演を拒んだという「ホモセクシュアリティー」に関する反響が書かれているこの記事をピックアップしてみました→Alexader not so great。以下、記事の和訳と感想です。
■オリバー・ストーン監督は気の毒だ。先週は裁判所礼状を抱えたギリシア人への対応を迫られ、今週は批評家の厳しい批判を浴びている。製作費1億5千万米国ドル、上映時間3時間のストーンの新作、「アレキサンダー」は、今週、全米で封切られたが、映画を楽しんでいる観客はほとんど誰もいない。そしてギリシア人(少なくとも25人のギリシア人の弁護士グループ)は、ストーンがアレキサンダーをバイセクシャルとして描いたため同映画を気に入らず、批評家はそんなことはどうでもいいのだが映画が気に入らない。
■New York Post は、映画のタイトルを"Alexander the Not So Great"(アレキサンダー、それほど偉大でない王)にするべきだであり、金髪のカツラとマスカラをつけたコリン・ファレルは見るも無残だと批評した。また、Postは、ファレルより1歳年上のアンジェリーナ・ジョリーを、アレキサンダーの母、オリンピア役に抜擢するとはばかなことをしたものだ、とストーンを批判している。USA Todayも、この映画は"Alexander the Great Disappointment indeed"(アレキサンダー、まったくがっかり!!)であり、ストーンの過去20年の映画の中でも最低であると批評。The Washington Postは、この映画は"Alexander the Crying Shame"(アレキサンダー、非常に残念)だ、と書いた。
■しかし、映画を観ていない人々からの批判が最も興味深い。ギリシャ人はアレキサンダー-25歳にあるまでにほとんどの既知の世界を征服した偉大な王-がゲイだったという意見に反対している。アテネの弁護士グループは、ワーナー・ブラザーズ・エンターテインメント社とストーンに対し、「アレキサンダー大王がバイセクシャルであると示唆した」かどで訴訟を起こすと脅してきており、ワーナーに対して、映画「アレキサンダー」はフィクションである、という一文を付けるように要求している。
■だが歴史家の意見は違う。史実に忠実であろうとしたストーンは、オックスフォード大学のアレキサンダー学者、ロビン・レーン・フォックス教授を雇い、脚本を読ませた。戦闘シーンで、コスチュームをつけて最前列で裸馬に乗る、という条件で仕事を受けたフォックスは、アレキサンダーとボーイフレンドのヘファイスティオン(ジャレッド・レト)の間に性的関係があったことは歴史的な記録から裏づけられている、と述べている。また、フォックスは、ホモセクシャルな関係はキリスト以前のギリシャ世界における「難解な部分」だが、「国家的にも文化的規範に照らしても認められていた、とりわけ、年上の男と10代の少年の関係はそうだった。」と述べている。そして、ヘファスティオンの死後、アレキサンダーがひどいうつ状態に陥り、自分の髪の毛と馬のたてがみ、尻尾の毛を切ってしまった、というような記述もある、と語っている。
■ワーナーの反対にあったストーンは、アレキサンダーとヘファイスティオンのラブシーンの一部をカットしたが、アレキサンダーは非同性愛者だと示唆することによって、「歴史を改悪する」ことを拒んだ。ストーンは言う。「現代の観客向けにこの作品をどう作ったらいいんだ?」「アレキサンダーは私にとって、男性と女性、男らしさと女らしさ、陰と陽がパーフェクトに混ざり合ったキャラクターだ。彼は彼の性質の両面を人々に伝えることができたんだ。」
■だが、依然としてアメリカでは、同性愛者同士の結婚は一般的ではない。今月、11の州が同性愛者同士の結婚を禁止する法案を通過させている。ハリウッドの少なからぬ人間は、バビロンの空中庭園で、アレキサンダーがヘファスティオンに「今夜は一緒に居てくれ。」と囁いたシーンを撮った時点で、ストーンはオスカーをとるチャンスを自ら潰した、と考えている。そしてストーンは、(同性愛に関する論争によって映画を殺してしまう可能性を)「考慮しなかったのは甘かったかも知れない。とにかく、アメリカではね。」と語っている。
■ファレルは自分の役柄について、男性同士のキスシーンを演じたくはなかったと語っている。米国の同性愛の雑誌のインタビューで、ファレルは、「男のひげが自分の唇に押し付けられた時、すごく不愉快だった。だけど、それも仕事の一部だ。僕は誰に不満を言えばいい?」「オリバー・ストーンはアレキサンダーという人間を100%正確に描きたかったんだ。アレキサンダーはバイセクシャルな世界征服者だった。1人以上の女性と結婚をして、子供をもうけていたが、同時に、彼は、近しい同姓の友人たちと、性的な関係を含めて、とても強い関係をもっていた。キリスト生誕の400年も前のことだ。それがその頃の生活だったんだ。その後、キリスト教信仰が発達し、セックスと結婚に関する行動が変化した。もし、君が男で、別の男を愛しているのなら、君はそういう運命だったんだ。」と述べている。
■The US Gay and Lesbian Alliance Against Defamation(GLAAD:中傷と戦うゲイ・レズビアン同盟)は同映画に対する支持を表明し、「オリバー・ストーンが2人の男性間の愛を探求したことによって、わたしたちは理想とする世界にまた一歩近づくことができた」と述べた。だが、ギリシャの一部では、同映画に対する感情は全く違う。保守的なギリシャの政党、Popular Orthodox RallyのリーダーであるGiorgos Karadzaferisは、モーゼについて似たような内容の映画を敢えて誰も撮らないだろう、と述べた。
■イエスの3世紀以上も前にこの世に生まれたアレキサンダーは、ギリシャからタジキスタンにいたる広大な領土をまたがる帝国を建設した。そして、バビロン、現在のイラクで、大酒を飲んでどんちゃん騒ぎをしている最中に33歳で亡くなった。
「これはブラッド・ピットではなくてコリン・ファレルです。」
と書いてある、、、)
■封切直後の「アレキサンダー」に対するアメリカでの風当たりは想像以上、かなり強かったんですね。。だけど、批評家は一体、何に対して、どの点について失望したのか、何が期待はずれだったのか、についてはこの記事からではよく分かりません。ただ、酷評しているメディアはクオリティーペーパーなので、観客動員数に対するマイナスの影響、それも、「アレキサンダー」に興味と理解を示し得る、インテリジェント層の映画ファンの客足を鈍らせるには十分だったのではないか、と想像します。
■わたし自身、コリンが「ゲイ」役を演じてもなんともないですが(相手がジャレッドだからかも知れないけど、笑)、「そういう映画は観たくない!」という人が少数ではないのだ、アメリカでさえ、というか、アメリカでは、と認識いたしました。だけど、オリバー・ストーン監督がもし、同性愛の表現についての論争で映画を殺してしまう可能性を最大限に考慮し、アレキサンダーとヘファイスティオンの関係を「ふつうの男の友情」系の演出にしてしまっていたら、それこそ映画を殺してしまっていた、というか、オリバー・ストーンの構想ウン十年の企画を実現する必要はなかった、と思うのですが。その辺り、監督はどー考えているのだろう?か。発言に納得いきませんね。
■それに、男同士で甘く囁かなかったらオスカーを取れていたとも思えず。やはり、脚本的に今ひとつな所があると思うし。映画自体が評価されないと、俳優は評価されませんですから、はい。
■それにしても、ギリシャ人の反発を買い、ゲイ&レズビアン団体に感謝され、、まさしくオリバー・ストーン作品と言えなくもないですよね?なのに、なぜ、みなさん、そこまでがっかりしたのか。。やはり、歴史大作に対して人は過剰な期待を抱きやすいのか、スタジオ側がそういう風な宣伝を打ちまくったのか、、、
■別のインタビューでコリンが「男と2分(2秒だったか??)キスするくらいなら、20分筋トレをした方がましだ!!」と語っていて、コリンの筋トレ嫌いは知りつつも、ん?その程度しかいやじゃないのか、やっぱり、おにいさんのイーモンが10代の頃、ゲイだとカミングアウトしたりしてるから理解が深いのかな、と思っていたのですが、やはり相当いやだったんですね。。
■信じられないけど、実際にコリンをブラッド・ピットだと勘違いしていた批評家もいたようで、「ブラッド・ピットは役柄にふさわしくない。威厳が足りない。」というレビューを見つけました、、、(読者に指摘されて後から訂正を入れてありましたが、、まったく、、情けない。。)
by irishterrier
| 2006-11-24 01:01
| c.farrell-映画
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